忠建

COMPANY

PHILOSOPHY

  • 一、私たちは、お客様の満足を高め、お客様と共に成長し、地域社会に貢献します
  • 一、私たちは、人と人とのつながりを大切にし、関わる全ての人の笑顔を追求します

OUTLINE

会社名
株式会社忠建
代表者
代表取締役 藤畝 大輔
所在地

広島県呉市阿賀南2丁目9番27号

写真:外観

設立年月日
1988年5月1日
資本金
1000万円
社員数
5名
業種
建築材料卸売業
事業内容
内装建材、住宅機器、サイディング、木材 卸売業

GREETING/INTERVIEW

| GREETING |

弊社は昭和48年に創業し、建築資材卸業として故郷の呉市とともに育ってきた会社です。
移り変わりの激しい世の中で時代のニーズに応えるため卸業だけではなく、建築工事の請負や、外壁工事の請負なども行っております。メイン事業である建材卸業は数あるメーカーの中の何百とある商品の中から、お客様が求める最適なものを提案しなければなりません。それにはいかに技術が進歩しようとも、相手の事を本気で考える心が無いと、いい提案は出来ません。弊社の経営理念である「関わる全ての人の笑顔を追求します」という考えのもとに、いかに商品を通じてお客様を笑顔にできるか日々考え努力しております。これからもお客様だけでなく、関わった人全てが弊社と関わって良かったと言ってもらえるよう、笑顔の輪を広げていきたいと思っています。

代表取締役社長藤畝大輔

| PROFILE |

写真:人物

株式会社忠建 代表取締役社長

藤畝 大輔(ふじうね だいすけ)

  • 1973年広島県呉市阿賀北に生まれる
  • 1980年宝徳幼稚園 卒園
  • 1986年呉市立原小学校 卒業
  • 1989年呉市立東畑中学校 卒業
  • 1992年広島県立呉三津田高等学校 卒業
  • 1997年関西大学工学部 卒業
  • 1997年株式会社佐竹製作所(現 株式会社サタケ) 入社
    生産部門で外注先からの仕入れを担当
  • 2000年株式会社忠建 入社
  • 2009年株式会社忠建 代表取締役社長に就任

| INTERVIEW |

みなさん、こんにちは。株式会社忠建の代表の藤畝(ふじうね)です。
ここでインタビュー形式で簡単に自己紹介をさせていただきます。

生年月日は?

昭和48年4月12日です。

どこで生まれましたか?

呉の阿賀北(呉工業高校の下の方)に生まれました。
大学の4年間は大阪の吹田市に住んでいましたが、それ以外はずっと呉の阿賀に住んでいます。今も、阿賀中央に住んでいます。

どんな子供時代を過ごしましたか?

小学年低学年から毎日のように山に行ってましたね。ザリガニを採りに行ったり、カブトムシを採りに行ったり……。
今のようにテレビゲームが流行る前だったので、毎日、外に遊びに行ってました。特に小学校5年生頃からサッカー漫画の『キャプテン翼』が流行りはじめて、それからは毎日サッカーをしてましたね。その頃の門限が17時だったのですが、遊びが楽しすぎて遅れて帰ってはよく母に怒られてましたね。

今、一番熱中している趣味は?

筋トレと、アクアリウムです。
筋トレは健康のために始めたのですが、はまってしまい毎日のようにYouTubeで勉強?!して知識を入れては人体実験に励んでいます。筋トレの楽しいところは、やったらやっただけ結果がきちんと出るというところですかね。仕事だとそう簡単に結果は出ないので……(笑)

『アクアリウム』っていうのは水槽の中に水草を植えて池の中を再現し、そこに熱帯魚を飼うというものなんですけど、小さい頃、毎日のようにザリガニを採りに池に行っていたので、その池の中が覗けているようで、見ていてすごく落ち着くんですよね。

一番大切なものは?

家族です。子供をもってはじめて親の気持ちが分かるとよく聞きますが、実際親になってみて子供のかけがえのなさというのを身にもって感じていますね。
”一番”といわれると家族になるんですが理想は自分に関わる全ての人を笑顔にしたいと思っています。

休日の過ごし方は?

何か予定が無ければ家でゆっくりしていることが多いですね。
アマゾンプライムで無料の映画を見たりしています。

座右の銘は?

『成せば成る成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり』
何事もやれば出来ると思うし、”出来んかった”っていうのは”頑張ってやらんかった、ただの 言い訳”だと思っています。
ただ、まだまだ弱い面も多いんで何事も前向きにチャレンジして成し遂げていきたいと思っています。

この仕事を始めたきっかけは?

大学卒業後、西条の株式会社佐竹製作所(現 株式会社サタケ)に勤めていたんですが、父が還暦を迎える タイミングに「一緒にやってみないか」と話しをもちかけられてたのがきっかけです。もともと後を継ぐつもりが全くなかった上に、そういう話もこれっぽっちもなかったので、ものすごく悩みましたが”自分で全てを決められる”という事に魅力を感じて入社する事を決意しました。

日々気をつけていることは?

普段から後向きな言葉は発せず、前向きな言葉を発することです。
勉強会や公演を聴きに行くと、よく言われていることですが、マイナスの言葉ばかりを発していると、負のサイクルで悪いことばかりが起こり、逆にプラスの言葉を発しているといい結果が出るといわれています。ですから常に前向きな発言をするように意識的に気をつけています。
それと”とにかく実行する”ということを心がけています。いいことを学んでも実行しなければ何も変わらないし、いい結果も出ません。勉強はしていても、口ばっかりでなにもしていない頭でっかちの人間にはなりたくないですね。

これから家造りをする人に伝えたいことは?

とにかく自分でいろいろ勉強し、知ることが大切だと思います。
知っているのと知らないのでは、大きな違いがあることが多いですからね。家は一生で何度も買える物ではないので、建設会社や銀行任せにして焦って買わないことですね。納得できなければ後で後悔しても後悔しきれないと思いますから、よくよく吟味して建てればいいと思います。
それから、家を建てる会社を決めたらその会社を信頼することも大事だと思います。まあ信頼したから、その会社に決めたんだと思うんですが、一つのコツとして、信頼してますよっていうのを、アピールするんですね。相手も人間ですから、信頼されたらされた側もいつも以上に一所懸命やってくれると思いますよ(笑)。

社長の目指す会社像は?

100年続く会社をつくりたいですね。
人はもちろん自分自身が一番かわいいと思っていると思います。ただ、自分がかわいいがためにベクトルが自分に向くと傍から見ると利己的な人間に見えると思うんです。弊社の経営理念にもあるのですが、「関わる全ての人の笑顔を追求します」という廻りの人を笑顔にする行動をとっていれば、周りから勝手に好かれ、勝手に人が集まってきて、勝手に栄えていくと思うんです。100年続けるには、関わる人から、愛され必要とされないと無理だと思うので、笑顔に囲まれた会社になれるよう努力していこと思っています。

今後の夢は?

ある人の公演がきっかけで、その頃からの夢というか目標なんですが「僕が死んだときに1000人の人に心から悲しんで泣いてもらう」です。
人に言うと、「変だ」といわれるんです。「宗教でも始めたんか」って(笑)
ただ、これってすごいことだと思うんです。亡くなった時1000人の人に形だけでなく、本当に惜しまれるぐらい好かれ大事だと思ってもらっていなければならないんですから。それくらい、人に愛され、必要とされる人生にしたいですよね。